理事長 角前 博道(有限会社球友堂)

紹介文

 昭和の大戦で、当時の山田駅およびその周辺は、アメリカ軍の焼夷弾の為に焼け野原となります。そして昭和23年頃から駅前にバラック建ての商店が少しづつ出来ていきました。
 昭和25年頃から商店街らしくなって来て、新道商店街もその頃今の商店街の原形が出来ていったと思われます。昭和通り商店街もその頃出来上り昭和31年に国道23号線が度会橋から真直ぐに山田駅前まで、そこで直角に右折し、外宮へと出来上がります。その折、銀座新道商店街の一部と昭和通り商店街の一部がそれぞれ整理され、今の街並が出来上がります。そして、昭和通り商店街と中央通り商店街と西町商店街の三ツの商店街に分かれて、それぞれの商店街活動が行われます。中央通り商店街は、岐阜の柳ケ瀬商店街と同じアーケードを作ります。(現在も半分使用中がない老朽化しているが)昭和54年に中央通りの駅前半分に三重交通が、三交百貨店(ジョイシティー)を建設して営業が開始されます。西町商店街は平成6年に老朽化したアーケードを新しいアーケードに造り替えます。又その数年前に昭和通り商店街がアーケードの無いモールを作ろうと計画し完成させます。
 こうして三商店街が一つになり、伊勢市駅前商店街振興組合を立ち上げ現在に至っております。ただ、日本経済のバブル崩壊や駅前にあったジャスコの移転により、ジョイシティーの集客が衰え、平成13年に閉鎖され、11年間空きビルとなり、駅前の空洞化に拍車がかかって行きます。そしてやっと平成25年駅前の再々開発にとっての懸念であった空きビルの解体にこまづけ、新しく次のステップに踏み出そうとしているところです。

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