五十鈴川のほとり、緑あふれる杜に囲まれた伊勢神宮・内宮(ないくう)は2000年の歴史を持つ。正宮をはじめ宮々が点在する神域は、いつの時代も変わることなく清々しさに満ちあふれている。内宮へとつづく門前町のおはらい町は、右に左に伊勢みやげや名物餅の茶屋が店開きし、お伊勢参りの旅人を素朴な心でもてなしてくれる。

日本の総氏神さま

天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祭る
伊勢神宮・内宮(ないくう)
「皇大神宮(こうだいじんぐう)

 伊勢の奥に連なる神路(かみじ)山・島路(しまじ)山を背景に、五十鈴(いすず)川上のほとりに鎮座する内宮。垂仁(すいにん)天皇の時代、天照大御神を永久にお祭りする地を求めて各地を巡幸していた皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)が、ここ伊勢を鎮座地に選ばれたのが始まりとされ、約2000年もの歴史を持っている。

 神域には平成5年10月に遷御を迎えた正宮(しょうぐう)をはじめ、別宮二社と所管社十社などがあり、日本古来の建築様式を伝える貴重な建物も多い。ザクザクと玉砂利を踏みしめながら、木漏れ日さす中に点在する社をゆっくりと回ってみよう(参拝の所要時間は約1時間)。

●近鉄・JR伊勢市駅から外宮内宮循環バス内宮前下車。●伊勢市宇治館町TEL0596-24-1111(神宮司庁)

◆内宮めぐりのおすすめ参道は宇治橋→火除橋→手水舎→御手洗場→滝祭神→風日祈宮→神楽殿→忌火屋殿→正宮→御稲御倉→外幣殿→荒祭宮→外御厩→参集殿→子安神社→大山祇神社→宇治橋

宇治橋

 内宮の玄関口ともいえる木造の大きな橋。長さ101.8メートル、幅8.42メートルの総檜造りで、下を聖なる五十鈴川が流れ、俗界と聖界を分けるとされている。正宮の遷御より一足早く、平成元年に新しく掛け替えられた。

 この橋の両側に立つ2つの大鳥居は、内宮・外宮の旧正殿の棟持柱(むなもちばしら)で作られるのが習わしで、さらに20年たつと、内側の鳥居は「関の追分」へ、外側の鳥居は桑名の「七里の渡し」の鳥居となる。

内宮神苑

 宇治橋を渡ると手入れされた芝生に松の緑が映える内宮神苑が広がっている。ここから眺める神路山はひときわ美しい。毎年、大晦日の夜から元旦の明け方にかけては、広場に神聖な大かがり火(どんど火)が焚かれ、暖をとる参拝客で幾重にも人垣ができる。

大正天皇御手植松

 神苑の柵越しにそびえ立つ1本の松。明治24年、大正天皇が皇太子時代にお手植えになった記念の木である。

火除(ひよけ)橋

 1の鳥居の手前にある小さな橋。正式には第1鳥居口御橋という。防火のために造られた堀に架かることから「火除橋」と呼ばれ、内宮の神域への出入口には必ずある。

手水舎

 火除橋を渡ってすぐ、参拝の前に手や口を洗い清める場で、柄杓に水を汲んで両手を洗い、次に左手に水を受けて口をすすぐのが正しい作法とされている。

祓所(はらえど)

 第一の鳥居の先にある注連縄(しめなわ)を張った石原。大祓祭典の際にお祓、遥拝式が行われる。

御手洗場(みたらし)

 表参道から幅広い石段を下り五十鈴川の御手洗場へ。コイが優雅に泳ぐ澄んだ流れは、古くから禊の場とされてきた。川岸の石畳は、元禄5年(1692)、徳川綱吉の生母、桂昌院が寄進したものと言われている。 五十鈴川は、神路山・島路山を水源に、内宮神域の西側を流れ伊勢湾へと注ぐ。倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだことから「御裳濯(みもすそ)川」とも呼ばれている。

滝祭神(たきまつりのかみ)「所管社」

 御手洗場から脇道に入ってすぐ。社殿はなく、板垣に囲まれた石畳の中央に石神を祭る。五十鈴川を守る川の神さまで、 所管社でありながら別宮と同じ神饌がお供えされる特別な神である。

風日祈宮(かざひのみのみや)「別宮」

 脇道をしばらく行き、宇治橋を小さくしたような風日祈宮橋を渡って風日祈宮へ。風の神さまを祭るこの宮では、5月と8月、風雨の害なく穀物が育つようにと「風日祈祭」が行われる。この辺りは景色がよく、とくに新緑や紅葉の頃に橋の上から眺める景色は素晴らしい。

内御厩(うちのみうまや)

 表参道の2の鳥居近くにあり、皇室から牽進(けんしん)された神馬(しんめ)がいる。神馬は、毎月1日、11日、21日の3度、菊の御紋を染めぬいた馬衣をつけ神前に見参するのが習わし。朝8時頃参道を行くと、りりしい姿に出会えることも。裏参道の火除橋前に外御厩がある。

神楽殿(かぐらでん)

 表参道沿いにある銅板葺、入母屋造の大きな建物。神楽を奉奏する神楽殿、御饌殿(みけでん)、神札(おふだ)授与所が並んで立つ。 神楽は、神さまに音楽や舞いを奉納して御祈願をしていただくというもの。お祓、お供え、祝詞の奏上に続き、雅楽の演奏に合わせ、舞女などが優雅に舞う。大々神楽や特別大々神楽など4種類があるが、所要時間は30分から1時間ほど。内宮の神楽殿で申し込める。御饌殿は、御饌を供えて神さまにお祈りする場。神札授与所では、お神札やお守り、神宮暦などが授与されている。

五丈殿

 神楽殿のすぐ先にあり、雨天の時に祭典やお祓が行われる。その正面の長さからこの名がある。

御酒殿神(みさかどのかみ)「所管社」

 五丈殿の後方、酒の神さまを祭る切妻造の建物。古くは、ここで神酒を醸造していたが、今では月次祭(つきなみさい)と神嘗祭(かんなめさい)に供える4種の神酒が祭典に先立ち奉納される。6月・10月・12月の各1日には、神酒がうるわしく醸造されるよう祈る「御酒殿祭」が行われる。

由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)「所管社」

 御酒殿と隣合う神明造の社殿で、祭典の際に神さまに供える御饌の御料を納めていた倉の守護神を祭る。

四至神(みやのめぐりのかみ)「所管社」

 五丈殿のすぐ横、石畳の上に石神を祭る。内宮正殿の周囲を守る神。

忌火屋殿(いみびやでん)

 注連縄を張った祓所の奥にある二重板葺、切妻造の建物。三節祭には神さまに供える御饌を「忌火」を使って調理する。「忌火」とは清浄な火のことで、古式どおりに火鑽具を使って木と木をすり合わせ、火が起こされる。

籾種(もみだね)石

 参道の脇、正宮の西の敷地を囲む石垣の隅にある苔むした巨大な岩。200年ほど前に、近在の楠部(くすべ)の人々が神宮に献納しようと五十鈴川の川上から長い年月をかけて運んだもので、その間に飢饉があり種モミまで食べつくしてしまったという秘話が伝わる。

御贄調舎(みにえちょうしゃ)

 正宮への石段下、塀の後ろにある切妻造の建物。祭典に供えるアワビを調理する儀式が行われる。川寄りにある石畳は、外宮の豊受大御神(とようけおおみかみ)のご神座とされている。

正宮(しょうぐう)

 杉木立の中、20段ほどの石段を上ると正宮。四重の神垣に囲まれたいちばん奥に正殿(しょうでん)があり、天照大御神が鎮座する。一般の参拝は、純白の絹の御幌(みとばり)がゆれる外玉垣南御門の前で。正式な参拝の仕方は、二拝、二拍手、一拝とされている。玉垣の左によると、「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」が美しい正殿の萱葺屋根の一部が望める。先端を地面と水平に切った内削(うちそぎ)の千木(ちぎ)が屋根の両端にのび、棟には十本の鰹木(かつおぎ)が並んでいる。

 平成5年10月の遷御で、新しい正宮は東側の敷地へと移った。木の香もかぐわしい檜の素木(しらき)造りに千木、鰹木の金具が神々しく輝く姿は古代そのままに蘇り、感動もひとしお。

旅のこぼれ話

神宮の名石・珍石めぐり

 内宮には「籾種石」や「踏まぬ石」のほかにも、由緒ある名石や珍石が色々-。

 神苑の芝生の中にあるゴツゴツとした石は富士山の初期の噴火でできた熔岩石という。御饌殿の階段脇にある筧をかけた手水石は「竜虎石」と呼ばれ、岩肌に竜と虎の姿が見える。神楽殿には、菊の花びらが浮き出たような「菊花石」、内庭には明治天皇の天覧に供したという重さ1500キロもある「赤玉石」など-。

外宮にも「亀石」や「三つ石」があり、名石を1つ1つ訪ねてみるのも面白い。

興玉神(おきたまのかみ)・宮比神(みやびのかみ)「所管社」

 正宮の板垣の内、西北の隅に鎮座する。いずれも内宮の宮所を守る神で、社殿はなく石畳に祭られている。一般は参拝できない。

屋乃波比伎神(やのはひきのかみ)「所管社」

 正宮の板垣の外、南東にある。社殿はなく石畳の上に鎮座し、神庭を守る。

御稲御倉(みしねのみくら)「所管社」

 神田から収穫した稲を納める倉。規模は小さいが「唯一神明造」の建築様式を伝える建物で、平成5年春、遷御を前に建て替えが行われた。掘立式の丸柱や萱葺屋根の千木や鰹木など、特徴を間近に見ることができる。正宮から表参道に戻り右手の脇道に入ったところにある。

外幣殿(げへいでん)

 御稲御倉の北方、古い神宝類を保管する高床式の建物。

踏まぬ石

 外幣殿から右に折れ荒祭宮へと下りる石段の途中にある、4つにひび割れた石。神職も参拝者もこの石は避けて歩くのが習わし。割れ方が「天」の字に見えるので、天から降ってきたという言い伝えも残る。

荒祭宮(あらまつりのみや)「別宮」

 天照大御神の荒御魂(あらみたま)を祭る内宮第一の別宮で、祭事や供物も正宮と変わることなく行われ、遷御も正宮につづき8日後に斎行される。荒御魂というのは、おだやかな和御魂(にぎみたま)に対して積極的・活動的な魂のこと。何か事を始める時にご守護くださる宮として尊ばれている。正宮近くの表参道に、注連縄を張った石畳の遥拝所がある。

参集殿(さんしゅうでん)

 表参道の火除橋を渡った前方にある2階建てコンクリート造りの建物。1階は無料休憩所で、湯茶が用意され、参拝の帰りにひと休みすることができる。神宮を紹介したビデオも放映されている。

子安(こやす)神社「所管社」

 宇治橋東詰から約50メートル奥へ、神宮司庁の南側にある。祭神は木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で、子授け、安産の神として信仰が厚く、神前には多くのミニ鳥居が奉納されている。

大山祇(おおやまつみ)神社「所管社」

 子安神社のとなり、神路山の入口に坐す山の守り神を祭る。

内宮の宮域外にある神宮125社

饗土橋姫(あえどはしひめ)神社「所管社」

 宇治橋前の駐車場の奥、山の麓に立つ。宇治橋の守り神を祭り、橋から神宮域へ邪悪なものが入らないよう見守っている。

津長(つなが)神社「摂社」

 饗土橋姫神社の右手、丘の上にあり、水の神さまを祭る。昔、この辺りは津長原と呼ばれ、五十鈴川の船着場があったという。倭姫命もここに上陸し、この神社を定めたと伝えられる。新川(にいかわ)神社・石井(いわい)神社(末社)も同座する。●伊勢市宇治今在家町

大水神社(摂社)

 饗土橋姫神社の左手、楠の大木のもとに社がある。五十鈴川周辺の山を支配する神を祭る。川相(かわあい)神社・熊淵神社(末社)も同座する。●伊勢市宇治今在家町

旧林崎文庫

 大水神社の後方、五十段程の石段の上にある白い土塀に囲まれた建物。江戸時代の内宮領の学舎で、林信篤や伊藤東涯など参宮に訪れた学者が立ち寄って学問の講義をしたり、著書や蔵書を献納した。

それらの図書は今は神宮文庫に収蔵されている。普段は閉鎖されていて拝観できないが、旧講堂や書庫が残り、庭には本居宣長の「林崎ふみくらの詞」の石碑などが立つ。(国指定の史跡)